なぜ「いつか」を待ってしまうんだろう?

何か行動したいことがあるのに、

「いつか」
「また今度」
「時間ができたらね」

なんて言って、先送りした経験はありませんか?

私は日常茶飯事です。

ぽわぽわーっと
「いつかできたらな」
「いつか幸せになりたいな」
なんて思っていました。

そして、
なぜ幸せになれないのか?
なぜ行動できないのか?

なんて不思議がっていました。

でも、よくよく考えると、気付いたんです。

なぜいつかが来ないのか?
それについての私の答えは

「゛いつか゛を信じ過ぎ。
今すぐやれよ」


いきなりそう言い放っても、
何いってんの?って感じですね。

私がそう思った理由を説明します。



理由その1:「いつか」とは何を指してるの?

「いつか」を理由に
行動を先送りしてしまいます。

そして、その「いつか」は一体いつ来るのか?
本当に来ることってあるんですかね?

私は来た記憶がないですね。
得体のわからないものです。
それなのに、よく使っています。


私はがその言葉を口にするとき、
何をイメージしているかのと言うと

・もっと気分がノッたとき
・体の調子がいいとき
・まとまった時間がとれるとき

など条件を考えてるんですね。


「いつか」とは、
完璧に条件が揃ったときのことです。


そして、その条件について考えてみると

・気分、心の余裕
・体の調子
・タイミング
・時間
・充分な知識

などなど。

しかし、それを見てると疑問が…

「それって待つ必要があるものか」

と、思えてしまうことです。


実際、待つ必要性がないですよね。

気分のらないとか、
まとまった時間でないとか、

「だからなんだよ?はい?」です。



今行動しない理由とは、あまり関係がありません。

・それは気分のらないとできないの?
・1時間ぶっ続けでやったらできるの?
もっと言うと
・今の知識と半年後の知識の違いで、本当に結果に大きな影響がでるの?
・そんな大きなプロジェクトしてんの?

こんな感じで、
私の場合は、
理由として成立してないなと思えてました。



理由その2:「いつか」は現実を見なくていい

どういうことかと言いますと、

「いつか」と言えば、
゛ひとまず、今は何もしなくて良い゛ということです。

どこにあるかわからない未来の時間に、
予定を放り投げてますからね。

将来に任せて、今に目が向いてません。

また、直訳すると
「今はやりたくない」です。

これは、理由としては賛成です。
私はこういう自分に素直なのは好きです。
自分がどう思うかって、
一番重要な理由だと感じます。
掘り下げると、最終的に辿り着くとこじゃないかな?って思うんです。


でも、今回問題のポイントは、

゛なぜ今しないのかについて考えていない゛
というところです。

なんとなく「いつか」と言って、
今の自分の時間の過ごし方とか
現在の大事なものに
向き合ってないんですよね。

「ただの考えなし」
プラス
「自分の感情にも鈍感」

単なる口から出任せの「いつか」は、
正当な理由になりません。


理由その3:「いつか」と言うただの妄想

そして最後に私が思うのは、「いつかやる」って

゛漠然とした妄想゛
なんじゃないかなということです

日本では、多くの場合、
周りと同じように過ごしていると、
それなりの生活ができます。

当たり前のようのに勉強して、
まあまあの学校に行き、
まあまあの会社に就職。

そして、まあまあの凡人になります。

自分から行動しなくても、
それなりのものが手に入ってきました。
まあ、まあまあのものが。

だから、
今までと同じように過ごしていれば、
まあまあの将来が、機会がくる。

そう学習してしまっているんです。
「それなりのいつか」が来ると。


なので、行動しない今も、
なんとかなると思っちゃってるんです。

経験から、
「多分、大丈夫。」とか都合よく妄想してるんです。
でも、ただの妄想です。

人生は、どうにかはなります。
最高でも最低でもどんな形であれ、時間は進みます。

だから「いつか」は来ます。
でも、先延ばしにした「いつか」は来ないということです。



まとめ

「いつか」を待つのって、
行動しない理由になっていないなと実感しました。

言い訳としても
成り立っていないなと言う感じです。



ただ、クセのように口にしていました。
そして、
いろんなことを先送りにしていましたが、


強めに言うと
「もっと簡単なやり方が、楽な道がある」
となぜか盲目に思い込んでるだけなんです。

だから、
「゛いつか゛を信仰しすぎ、さっさと行動しろよ」という結論です。


行動できない理由は、
本当は存在していなかったということです。