【愛されたい心理】寂しくて苦しい。ならば、可哀想な自分を手放して!


「寂しくて他のことが手につかない」

「撃ち落とされた自分を安売りしてしまう」

「仕事よりも誰でもいいから自分にかまってほしい」


なんてことはありませんか?

・誰かが大事にされたくてたまらない
・目の前のことにそして集中できなくなる

という方へ


今目の前にすべきことがあるので、しなきゃダメだと思っていても、寂しすぎたり、誰かに愛されたい思いが強すぎると集中できなくなりますよね


なぜか、「愛されたいという焦り」を感じると日常生活がうまくいかなくなります。
また、自分の行動を肯定してあげる余裕がなります


しかし、日常生活に支障が出てくると、生きていくのが辛くなりますよね


なんで、そんな風になってしまうんでしょう?


私なりの答えは、
「自分を愛することの執着している」です


今は目の前が真っ暗に見えるかもしれません。でも、「愛さないといけない」という気持ちを一度手放してみてはどうでしょうか?


勇気を持って手放すことで、ふと楽になれる瞬間があることに気がつきました。


ではどうぞ。




■その1『愛されたいと思うのは普通のこと』


・愛されると安心する

程度の違いはありますが、人間をみんな愛されたいと思います。

誰かに大事にされると安心しますよね

私も誰かの大切に扱われた瞬間、今まで悩んでいたことがどうでもよくなったりします

生きてくのに、
愛情はなくてはならないものだと思います




■その2『なぜ愛にこだわりすぎるのか』


ですので、愛されたいと望む気持ちは自然なことです

しかし、いつの間にか、その思いが日常生活を難しくします。問題になってしまいます。



‹どうして、そのようになってしまうのでしょうか?›


それは、その「愛されたい」という思いは、
自分の足りない部分を自分以外の「誰かにを埋めてもらおう」としているから来ているからです





■その3『欠けていて当たり前なのに』


人には必ず足りない部分があります
自分の心の中のスカスカの部分
物足りないような気持ちが生まれます


それはしょうがないことです
みんなにあるものです



それなのに、自分の足りない部分に過剰に反応してしまう。

そして、焦ってその部分を何かで埋めようとしてしまいます




■その4『誰かで埋めようとすると餓えていく』


それを他人に埋めてもらおうとした時におかしなことになってきます

・相手に媚びたり
・安売りをする

自分の足りない部分を少しでも見つけた瞬間、相手を必要となります


相手にかまってもらうために、無理をする
そして、一瞬だけの安心を手に入れる
そんなことを狂ったように繰り返します


依存のようです

自分安く扱っていると、更に自分が傷ついて、埋めてもらおうと相手を求めます

余計に傷は大きくなってくばかりです



■『それは愛?』


・愛されたいからが相手に合わせる



自分の飢えから目を反らすために相手を求める

日常生活がこんな風にになってくると、その関係は難しいですよね


お互いに傷付け合うのですから




「愛情をもって愛して愛されたい」
その域を越えて、あなたは自分の足りない部分、寂しい部分を埋めてもらおうとしていませんか?



■まとめ


まず、
・自分が餓えていること
・足りない部分があること

これらに目を向けてください


そして過剰に反応するのを止めてみましょう


「自分の足りない部分」
そこを埋めてくれる完璧な愛をくれる相手などいないのです


それを求め続けると、ずっと飢えることになります


欠けていることは自然なことです



そこに与えようとすることを一度手放してみてください

「飢えているあなたでいいんです」


そう思えた時、心は少し楽になります

自分を可哀想可哀想と与えることを、止めてみてください



そして、相手に目を向けてください
相手も自分と同じように欠けていることに気づきます

い自分だけじゃないと思った時、また少し安心できるかもしれません