『失敗が怖くて行動できない』その恐怖心は、ただの思い込みだ!

・何かしたいんだけど、失敗するのが怖い

・なぜか、新しいことに挑戦できない

・行動できない自分が嫌い…



こんなこと、ありませんか?
失敗を怖がりすぎると、行動できなくなりますよね。


「なぜ、こんなに失敗が怖いの?」


こんな思いに悩んでる方へ
今日はお伝えしたいことがあります。




あなたは、
「失敗=無駄いけないこと」
という思い込みが根本にないでしょうか?


この気持ちにがあると、失敗が怖くて行動できなくなります。


私も、この思い込みのせいで、今までたくさんの時間を無駄にしました。


「何で、頑張りたい気持ちはあるのに、
行動が伴わないの…」

自分はダメな奴だと思い、苦しい気持ちになりました。


でも、「これは思い込みがある」って気づいたことで、少しづつ行動に移せるようになりました。
自分にとって、中々の転機になったので、あなたにも知ってもらいたいです。


あなたはいかがでしょうか?

この思い込みについて見直すことが、
行動できる自分に繋がります。


あなたの参考になれば幸いです





■その1『なぜ行動できないのか』


「したいことがある…
でも、なぜか行動が伴わない」

こんな事ありますよね。



・1時間勉強すると決めた
・今日は早く寝ることにする
・マラソンを習慣にしよう

それなのに、なぜか体が動かない…


なぜでしょうか?
こんなとき、
・時間通りにできない自分
・さっさと行動できない自分
・ゴールが見えない


「できないイメージを怖がっている」ことがあります。また、ゴールが思い描けないので、先が見えない道のりを進むのが怖いんです。


自分のイメージ通りにいかない現実が嫌なんですね。

効率の悪い現実の自分、上手くいかない現実の自分を見たくないということです。




■その2『失敗は無駄なのでしょうか?』


上手くいかない現実を嫌がります。
なぜか、失敗したくないと思います。
これ、普通ですよね。 


うまくいかないことは嫌ですし、誰でも失敗はしたくありません。


最初から完璧にできてしまいたいです。
でも、失敗せずに何かを成すことなんて、できるのでしょうか



私たちは、これまで生きてきた中で、いろんな経験を積んできました。

数字、ひらがな、英語と何度も繰り返し訓練してきました。最初はできませんでした。でも、繰り返したかできるようになったのです。



まあなたは「できないこと=失敗」とは考えていないでしょうか



上手くいかないのは、失敗ではありません。
子供のころ、九九を覚えられないことに対して、失敗だとか難しいことを考えていませんでした。


できないから、できるように繰り返しただけです。そして、できるようになりました。


失敗は決して無駄ではありません。

「失敗=無駄」というの、ただの思い込みです。


■その3『人生の目的は失敗しないことではない』



あなたは、
人生で何を目指していますか?


人それぞれですが

・仕事でうまく行きたい
・幸せな結婚生活を送りたい


どれも、根本は「幸せになりたい」という思いがあります。


欲しいものを手に入れようとする時、うまくいかないことはあります。でも、それはうまくできるように訓練すればいいだけです。


もし、失敗しないことを人生の目的にすると、成し遂げたいことは叶えられなくなります。


失敗をしても、不幸にはなりません。
失敗をしないから、幸福になれないのです。




■その4『まずは、思い込みを変えていくこと』

ここまでで、
「失敗が無駄というのはただの思い込み」だということがわかりました。


無駄なんかではありません。
失敗は成功へのステップなのです。


なので、この思い込みを変えると「行動する恐怖心」が減ります。


まずは、自分は思い込みをしているということに気づきましょう。



「なぜ怖いのか?」という理由は消えていきます。



ただ失敗を怖がらずに、

「自分にとっては幸せは何か?
そして、本当失敗はいけないことなのか?」



もう一度考えてみてはいかがでしょうか?
見える世界が変わるかもしれません。

【愛されたい心理】寂しくて苦しい。ならば、可哀想な自分を手放して!


「寂しくて他のことが手につかない」

「撃ち落とされた自分を安売りしてしまう」

「仕事よりも誰でもいいから自分にかまってほしい」


なんてことはありませんか?

・誰かが大事にされたくてたまらない
・目の前のことにそして集中できなくなる

という方へ


今目の前にすべきことがあるので、しなきゃダメだと思っていても、寂しすぎたり、誰かに愛されたい思いが強すぎると集中できなくなりますよね


なぜか、「愛されたいという焦り」を感じると日常生活がうまくいかなくなります。
また、自分の行動を肯定してあげる余裕がなります


しかし、日常生活に支障が出てくると、生きていくのが辛くなりますよね


なんで、そんな風になってしまうんでしょう?


私なりの答えは、
「自分を愛することの執着している」です


今は目の前が真っ暗に見えるかもしれません。でも、「愛さないといけない」という気持ちを一度手放してみてはどうでしょうか?


勇気を持って手放すことで、ふと楽になれる瞬間があることに気がつきました。


ではどうぞ。




■その1『愛されたいと思うのは普通のこと』


・愛されると安心する

程度の違いはありますが、人間をみんな愛されたいと思います。

誰かに大事にされると安心しますよね

私も誰かの大切に扱われた瞬間、今まで悩んでいたことがどうでもよくなったりします

生きてくのに、
愛情はなくてはならないものだと思います




■その2『なぜ愛にこだわりすぎるのか』


ですので、愛されたいと望む気持ちは自然なことです

しかし、いつの間にか、その思いが日常生活を難しくします。問題になってしまいます。



‹どうして、そのようになってしまうのでしょうか?›


それは、その「愛されたい」という思いは、
自分の足りない部分を自分以外の「誰かにを埋めてもらおう」としているから来ているからです





■その3『欠けていて当たり前なのに』


人には必ず足りない部分があります
自分の心の中のスカスカの部分
物足りないような気持ちが生まれます


それはしょうがないことです
みんなにあるものです



それなのに、自分の足りない部分に過剰に反応してしまう。

そして、焦ってその部分を何かで埋めようとしてしまいます




■その4『誰かで埋めようとすると餓えていく』


それを他人に埋めてもらおうとした時におかしなことになってきます

・相手に媚びたり
・安売りをする

自分の足りない部分を少しでも見つけた瞬間、相手を必要となります


相手にかまってもらうために、無理をする
そして、一瞬だけの安心を手に入れる
そんなことを狂ったように繰り返します


依存のようです

自分安く扱っていると、更に自分が傷ついて、埋めてもらおうと相手を求めます

余計に傷は大きくなってくばかりです



■『それは愛?』


・愛されたいからが相手に合わせる



自分の飢えから目を反らすために相手を求める

日常生活がこんな風にになってくると、その関係は難しいですよね


お互いに傷付け合うのですから




「愛情をもって愛して愛されたい」
その域を越えて、あなたは自分の足りない部分、寂しい部分を埋めてもらおうとしていませんか?



■まとめ


まず、
・自分が餓えていること
・足りない部分があること

これらに目を向けてください


そして過剰に反応するのを止めてみましょう


「自分の足りない部分」
そこを埋めてくれる完璧な愛をくれる相手などいないのです


それを求め続けると、ずっと飢えることになります


欠けていることは自然なことです



そこに与えようとすることを一度手放してみてください

「飢えているあなたでいいんです」


そう思えた時、心は少し楽になります

自分を可哀想可哀想と与えることを、止めてみてください



そして、相手に目を向けてください
相手も自分と同じように欠けていることに気づきます

い自分だけじゃないと思った時、また少し安心できるかもしれません

『相手が正しい』でもムカつく!シンプルでショボい原因と対処法

正論なのにムカつくのはなぜか

「相手が正論だとわかる、でも腹が立って仕方ない…」


こんなことありませんか?
これって、人生でしょっちゅうだと思うんです。


「なんか、腑に落ちずムカムカする…」



実は、つい先ほど、そんな事がありました。
「なぜそんなにムカつくのか?」
それを私なりに考えてみました。


そして、結論にたどり着きました。
それはとてもシンプルに「ほっとけ」です。
もしも、あなたのむかっ腹がほんの少しでもスッキリすれば幸いです。


それではどうぞ。




■『腹立つわ!スマホが壊れただけなのに!』

まずは、何があったかを簡単に。


今日、外でスマホを使い写真を撮っていました。
その時、アスファルトスマホを落としてしまいました。もちろん画面にはヒビが入りました。そして、変な動きを繰り返し使い物になりません。結論、壊れました。

かなりショックです…


実はこのスマホ
ケースにも入れてなかったし、フィルムも張っていませんでした。裸の状態です。

私はスマホ持って10年近くになるんですが、今まで壊れたことがありませんでした。道路で落としたりと、かなりひどい扱いをしていたのですが、それでも一度も壊れたことがありません。

なので、余裕こきまくった私。
今回のスマホもケースに入れず持ち歩いていました。


そして、この結末…


ですが、ここまではいいんです。
ただの自業自得です。アホちんです。

私のむかっ腹はここからがポイントなんです。




私は家に帰り、家族にすぐ報告しました。

私「見てみて~、スマホ割れたがな!」
家族「バカか、高いのに。だから言っただろ」

この家族の対応が、今日のお題です。



■むかっ腹の原因その1
『問題意識がずれている、予想と違う返答』


第一声で罵られました。大きな声で。
そこで、気になったのが「高いのに」という点です。

私的には悲しいやら笑えるやらを伝えたかったのに、金額の問題で罵られた。

単なる問題意識の違いですが、ここに私も引っ掛かりました。



スマホは高額で、ケースに入れてない私が悪いです。家族の言ってることは正しいんです。しかし、私もとても腹が立ち気持ちが収まりません。


スマホが壊れたことを報告したのは、
私は悲しいやら笑えるやらを言いたかっただけです。

それでいきなり「値段が高いのにバカ」って言われた。それは望んでいない返答だった。


私にとっては金額はどうでもよかったんです。


はっきり言うと、自分で払うものなので相手にかまってほしくないわけです。それをズケズケと構われたので煩わしい。

さらに言うならば、その対応に、
「何?代わりにお金だ出してくれんの?」
なんて、アホっぽく突っかかりた気持ちさえ生まれてしまう。




■むかっ腹の原因その2
『わかったような上から目線』

(ちょっと嫌みな突っかかりです。
こじつけ感が強めです)


その家族はスマホを持って一年未満です。
そして、私はもう10年近く持っている。


傲慢ですけども、自分のこれまでの経験があったので、分かったような態度が納得いかない。上から目線が腹立つ。


また、その家族の言う「だから」の意味がよくわからない。

まだ、持って間もないので彼は予想で話している。まあ、精密機器ですので常識なんですけど。


それを自信満々で言われる。まるで、根拠があるかのように。


むかつくその態度。
その通りだけど受け入れがたい。

「そんなこと分かってるし。君に言われたくないわ」
ってなってしまうのです。







■『以上より…結果』


そんなわけで、私はムカムカを収めれずにいるのです。


でも、そこには

「相手に正しく理解されたい、相手にわかってほしい」

という、傲慢な押し付けがあることも理解しています。こういうことってよくありますよね。

相手を変えようとするから腹が立つんです。
だから、私の出した答えは

「すげーむかつくけど、ほっとけ」


反応したら疲れるだけだし、このようなこと一つを取り上げたら、同じように他の出来事も全部取り上げないといけない。キリがない。だから、気にしないことにしました。



ショボい答えで申し訳ありません。最後まで読んでくださりありがとうございます。

皆さんも、きっと経験されていると思います、この気持ち。やっていられないことばかりですが、一緒にほっときましょう。

『人生、自由に生きたい!』原因は2つ!他人の評価とあなたの覚悟

・他人の目が気になり、やりたいことができない
・すぐ愛想笑いする自分が嫌
・断ることができない…

このような経験はないでしょうか?


「本当はもっと自由に生きたいのに、なぜ毎日が窮屈だ…」

私も自由になりたいのに不自由で堂々と生きられないことが苦しいです。


どうしてこんなに毎日が窮屈になってしまうのでしょうか?そして、この気持ちはどこから来ているのでしょうか?


私の場合、問題点は「他人の評価」と「覚悟」でした。この2つが、不自由のもとになっていました。


あなたはどうでしょうか?
もし、あなたが不自由にな毎日に苦しんでいるならば、この2つについて少し考えてみてください。


自由に生きるための手助けになれば幸いです。
下記、問題につながる3つの原因です。
お付き合いください。




■原因その1『失敗したくない』

窮屈で身動きが取れない時

・傷つくのは嫌
・笑われたくない

という風に他人の目を気にしています。

でも、失敗しないというのは無理なことです。
堂々と生きるのは難しいです。
どこかで割り切る必要があります。



■原因その2『間違えたくない』


先ほどと似ていて、
失敗を極端に恐れることです。

ポイントは、
間違いが嫌で「他人に正しいと言って欲しい」というところです。自分で、正しいと判断することを避けようとします。



でも、それは必ず他人の評価を気にしないといけません。とても不自由です。自分の覚悟や価値観、自信などが関係してきます。




原因その3『リスクを背負いたくない』

自分で考えて行動、決断をするとき必ず結果と責任がつきまといます。頑張ってもうまくいかないこともあります。


その結果を受け入れるのを怖がっていると
何もできません。そして、好きなことをできない不自由な日々を過ごすことになります。堂々と生きるには遠い生活です。




■まとめ

「なぜ堂々と生きられないのか?」

その原因は、
・他人に振り回されてる
・覚悟がない
というところです。



自分で考えることができないと、常に他人の評価が気になります。



なのでもし、自分で考えることさえできれば、

・結果も受け入れられる
・リスクも背負える

そして、今よりも堂々と生きれます。
これらは傷つく覚悟とも言えます。


自分の人生を堂々と生きられたならば、
素晴らしい人生になりそうですね 

『他人に振り回される』それは損得勘定が原因かも?

「得したいと考えて、余計に損をした…」

このような経験ありませんか?



できるならば
人生得したいですよね。

嫌な思いや苦労なんてしたくありません。
きっと、損したくないと思うのが普通です。


でも、
その考えにも振り回されす過ぎると
大切なものを失ってしまいます。



日常の忙しさでいっぱいになると、


・家事は私の仕事。私ばかりが損している

・誰もちゃんとしてくれない

・会社でも雑務は押し付けあいだ…


などなど。
こんな思いが溢れてきますよね。


人目につかない裏方作業などは
他人から評価されにくく、それを黙々とこなしている自分は損をしているのに感じてしまう。


そして
「なんで自分ばかり、自分は可哀想…」

なんて思い芽生えたりします。


でも、ちょっと待ってください。
それは本当に損をしているのでしょうか?
なぜ、不愉快な気持ちになるのでしょうか?




その損得勘定に振り回されていませんか?





■『比べることから生まれる損得勘定』


私たちは日常生活で身に付けた
「常識や普通という言葉」が当たり前なっています。


例えば
・学歴が高いほうが将来性がある
・お金持ちのと結婚すれば楽ができる
・エリートは勝ち組だ

そして、
そうあることが「得」だと思ってしまっています。



・できるだけ安いものを変えた方がいい
・自分が人よりお得に物を入れた方がいい
・時間もお得に使いたい


しかし、
それは誰にとって得なんでしょうか?


惣菜の割引シールを例にとってもですが、
これらの「得」は何かと比べたときに発生しています。


・他の人は400円で買っているのに、私は198円で買えた!

・みんなは2時間待っているのに、自分は10分で済んだ!



「誰かと、何かと比べて」まるで得したかの気持ちになっています。



■『価値観が違うのに、それで得できるの?』



でも、
当たり前にみんな違う価値観をもっています。


多くの人に魅力的なものでも、
全ての人が満たされるわけではありません。
それが自然なことです。


・高価で評価の高い料理を食べても、私はいまいちだと思った

・今流行りのゴージャスな遊びをしてみたけれど、全く面白くない

・みんなが可愛いと思うあの人、どこが可愛いのがよくわからない

こういうのは自然なことです。







私たちは
今まで見てきたこと、
感じたきたこと、
生まれ持ってきたことも違います。



「自分が何で満たされるか」
など自分でしか知っていくはできません。


それなのに世の中が得と言ってることを
疑わず得と思い混ん込んでいると
自分とずれが出てきます。



そして、無駄に時間を失ったり、
自分の価値観が分からなくなったり、
満たされなくなってしまいます。


それでは本末転倒です。



■『得を求めて焦っていた日々』


私の経験です。


私は毎日、何かと不安で焦っていました。
その時思っていたのが、
「人生をもっと充実させなくては」です。


時間を効率良く使えない自分に、
24時間を中身の詰まったものにできないことに
いつも苦しい気持ちでした。


充実させるために趣味を持ったのですが、
何も楽しくありません。

楽しまないとと脅迫的な思いで余計に苦しくなります。


「なぜ、毎日頑張ってるのに苦しいのか?」
とずっと疑問でした。


そして、ヘトヘトの日々の中で
ふと思いました。

「これ誰にとっての得なんだろう?」


私は、
「身近な知人が良いとする日々」を目指していました。その人の目を無意識に想像しながら生きていました。


でも、その人にとって充実した1日の過ごし方でも、私にとっては違う。

有意義であっても、得でない。
そう気づきました。


まだ振り回されることもあります。
でも、他人と自分の人生にしっかりと線を引けた瞬間でした。そこから、日常の何気ないことが変わっていきました。






■まとめ


みんなが損な役回りだと言っても
あなたにとって損なことだと限りません。

あなたが
満たされるならば損ではありません。



「得したいという気持ちで、
「本当に得をしているのでしょうか?」


あなたを満たしてきてくれているのでしょうか?


とても厄介な損得勘定。

他人に振り回されると、
苦しい人生に進んでしまいます。



「その損得は誰が決めたのか」
一度振り返ってみることをおすすめします。

『今が人生最悪の時』それでも、人生の本番って今だ!

「人生ってクソだな10代の頃に戻りたい…」

「学生の頃が一番最高だった…」



なんて思ったことはないですか?
今が苦しいと昔が恋しくなったりしますよね。



でも最近、人生って

「今が一番最高の時」なのでは?
と思いました。



今までの生き方がその証だなと思ったので、
詳しく話していきます。



■『確かに学生の時って楽だった』

・当たり前のように頑張れる環境があり、
友人も作れる環境だった。

・嫌なこともいっぱいあったけど、普通の生活を送れた。

・自堕落にならなかった


「学校って自然に学べ、自分を嫌いにならずにいられる場所だった」



そして、
学生生活ってみんな同じことをしてた。
同じ物差しの上で生きてた。


当たり前にみんな用意された道なので、
当たり前にみんな同じように頑張ってた。



なんで頑張ってたかって言うと

・いい大学行ったり
・いい会社に入ったり
・いい生活をできるため


すべて、
大人になった今のために頑張ってたんだよね。

まあ、何も考えずに流されてただけでもあるけれど。



そう思うとね
今が人生の真ん中なんじゃないかって思える。

これまでは、
今のための下準備なんだよね。

下準備をしたってことは、何か本番があるって事。


だから、今が人生の本番だ。




■『今のためにカスタマイズしてきた』



今がうまくいくために、
自分をカスタマイズしてきたんだよね。


教育大学行く人もいれば、
専門学校行ったり、
弟子入りする人もいる。



みんな自分の行きたい場所に行けるように
下準備をしてきた。

それって全部今のためなんだよね。


そう思うと、
やっぱり人生は今なんだなって思ったんだよ。



学生時代は色々あったけども、
逆に言うと何もなかった。


学生時代のためには何も用意してないんだよね。


ぶっつけ本番で決まったことをするって言うだけ。

何もお膳立てもされていない。

カスタマイズもされていないし、
準備もされていない。



それは、
学生時代は手段で目的でないから。





ちょっと例え話すると、

この前、
クリアファイルを自分が使いやすいようにカスタマイズしたんです。

チョキチョキってカットして、
使い勝手良くしました。



他にも、

奮発して使い勝手の良いパソコンを買ったり、

スマホも自分が使いやすいようにルーチンとか組んだり。



それは
自分が過ごしやすいようにカスタマイズしています。
自分が生きたい生き方にためにしている。



学生時代とかも

使い勝手が良いようにカスタマイズしてるんじゃないかって感じるんです。

本番に備えている。



■まとめ


だから、
今がつまらなく感じていても、
人生のメインは今なんだっていうこと。



・なぜか今が苦しくなってしまって
・学生の頃が一番充実してた
・今、人生最悪と思う



でも、
人生はきっと今のためにあるだから
あんまり自分を責めないでいいのかも。


もう少し希望を持てるといいね。

『自己嫌悪で苦しい』原因は減点方式になっているから

「自己嫌悪で苦しい」


そんな時
あなたは減点方式になっていませんか?



例えば

・何をやってもダメな自分が嫌
・理想は遠く過ぎて苦しい
・もう自分の存在に必要性を感じられない

などなど。
強い自己否定で苦しくなることはないでしょうか?


自分を受け入れてあげられないと、苦しいですよね。

生活を送ることさえ苦しく、
生きづらいなと感じませんか?


私もしょっちゅうなってしまいます。


そして、
自己嫌悪の泥沼から抜け出せず、
悪循環に陥ってしまいます。


「なぜ、自己嫌悪になってしまうのか?」

不思議だったのですが、
その時の心の状態について気づくことがありました。


私はこの方法で少しずつ、
改善してきています。

あなたの心が軽くなり、
生活が楽しくなる参考になれば幸いです。




■イメージが高すぎる


自分を否定してしまうとき、頭の中で、

「できない、だめだ、意味がない」
こんな風に感じています。


この「ダメだ」って発想。
必ず比べるものがあります。

もしも比べるものがなければ、
そんな発想さえ産まれないと思うんです。


なので、
無意識でも理想とする自分へのイメージがあるんです。

多くの人がそうかと思います。


世の中の普通や常識とかも、
イメージの原因です。


それらを自分の中に基準としてしまったとき、自分の行動に

「足りてない、できていない」
と感じてしまいます。


そして、
惨めになったり苦しくなったりします。



期待や理想が高すぎて、
それに届いてないことが許せない状態です。


イメージと違う自分が許せないということですね。



しかし、

その考え方では、何をやっても自己肯定できず、
苦しい思いが続きます。


「できて当たり前、できないとダメなやつ」

ということです。
±0か、マイナスしかないのです。
これでは、苦しいのは当たり前です。



■加点方式チェンジすれば心は楽になる



「できて当たり前」

この考え方は減点方式です。

どんどん自分から点数が引かれていきます。
加え、
ほとんどの場合が手持ちの点数さえ低い。


そして、
減点方式の反対が加点方式です。

今ある点数からマイナスしていく減点方式に比べ、
加点方式は今にプラスをしていく考え方です。


この考え方は
たくさんのメリットがあります。

私たちは人生を豊かにしてくれます。
主なメリット2つをご紹介します。



■メリットその1
『常に達成感を味わえる』


加点方式の場合、
どんな小さなことでもできる度に点数をもらえます。

なので、
小さなことでも自分の成長を実感できます。


自分ができることを積み上げてくのは、
モチベーションが上がります。

次のステップへの架け橋になります。



■メリットその2
『できることがわかる』


減点方式の時に

・あれもダメ
・これもダメ…

自分は一体は何ができるのか

こんな苦しい経験はなかったですか?



自分を否定していたり、
ダメなとこばかり見ていると、

「自分は何ができるのか」

ここがわからなくなります。


逆にできることに注目していれば、

「自分ができること」をはっきりわかるようになります。


そして、自分の能力の合わせてすべきことををコントロールできるようになります。


「本当にすべきことがわからず、
頑張っても空回り」


この状態から脱出できます。


■まとめ

減点方式で自分をすり減らしていると
できることさえ、自信が持てなくなります。

そして、
生きていくのも辛くなってしまいます。


初めは勇気がいるかもしれませんが、
加点方式を意識したみてはいかがでしょうか?

一つ一つできることが増えるということは、
とても嬉しいことです。

小さな成功体験が人生を楽しくしてくれます。